第55回カラーウォッチングツァー報告
新しい銀座を見る旅

乾 正雄



 銀座ぐらい知ってるさ、と思っていた。


 中学生のころには、日比谷のどこかの映画館で毎週のようにロードショーを観、時たま「ジャーマンベーカリー」でなにか食べて帰って来た。もっとも姉に連れて行ってもらうのだからまだ子どもだったし、子どもにはハリウッド製のわかりやすい娯楽映画がぴったりだった。


 大学に入ったころは、悪友三人組ができて日比谷公会堂通いがはじまり、N響、東響から、年を追って増加する外来演奏家まで、夢中になって聴いた。終わるとガードをくぐって銀座側に出、「銀八」の釜飯と「ウエスト」と時にはバーに寄るまでに至った。昼に銀座に行くこともあり、それは、四丁目の地下の「ハルモニア」で輸入盤のLPを買うためだった。わざわざ銀座に行かなくたってレコードは買えたけれども、注文がうるさかったのである。


 幸い有楽町の再開発はゆっくりしており、日劇を中心とした劇場街の一角も、駅の近所の看板建築が目立つ飲食店街も80年代まで残存していたので、ぼくは中年にさしかかってもなお「銀座は永遠なり」と錯覚していた。しかし、だれにも銀座どころではない人生の繁忙期はやってくる。しばらく足が遠のく期間があったと思ったら、その間の時の流れの早かったこと。あっという間に30年が過ぎた。商店街はよくても模様替えか建て替え、わるければ経営者の交代による閉店、過去とは無関係な別種の店の開店などがすすんだ。有楽町の最先端化が際立った結果、よくいわれるように、日本橋と新橋をむすぶ南北の線に沿った昔の線的銀座が、それと交叉する有楽町と勝鬨橋をむすぶ東西ラインの拡充によって今や面的銀座に取って代わられたのである。


 若い三人のリーダー、小宮山さん、島津さん、山田裕子さん等による今回の銀座ツアーの企画は、上の東西ラインを歩く企画である。それだけでもツボにはまっている。参加すべし、と思った。紙数が尽きてしまったが、このツアーでは、ぼくの知らない銀座が次々と立ち現れた。「お前の知ってる銀座なんか、ほらどこにもないだろう」と、言わんばかりに。


掲載雑誌名  公色ニュース No.23−1  2009年5月
発行人  公共の色彩を考える会