ネオン文化の盛衰と維持保存


小林 茂雄

照明学会誌、Vol.90、No.7、pp.453-456、2006 掲載



1. 街を象徴するネオンの光

 ラスヴェガスの風景を象徴するものはまぎれもなく光である.日中は強い日差しとごつごつした周囲の岩山に圧倒され,華奢で薄っぺらな印象さえする建築物は,日没後に圧倒的な光を持って輝きだす.人を誘い楽しませようとする光が街のあちこちに溢れる.夜に目を覚まし,生き物のように流動的に形を変えていくこの都市に,私はいつのまにかとりつかれてしまった.2004年度に大学から1年間の研究休暇が与えられた際,「光の祝祭性に対する理解を深めたい」という思いから,ラスヴェガスを研究フィールドとして選ぶことにした.世界のどこにも類を見ない特殊な地の,歴史や観光情報を扱った書籍や写真集は世界中で数多く出版されているが,意外にも光について文化的面から取り上げられたことはほとんどない.ここでは,私が毎夜光の洪水の中に繰り出し,観察し,調査した内容から,いくつかのトピックを切り出して紹介したい.今回は,ラスヴェガスの風景のシンボルともいえる屋外のネオンについて取り上げる.

 放電灯の一種である光源としてのネオンは,1910年にジョルジュ・クラウドによってフランスで発明された.その後,ヨーロッパではバーや映画館のサインや装飾に用いられたものの,大規模な構造物とともに用いられることは少なかった.一方アメリカでは,1923年に初めて使用された後,カリフォルニアやアリゾナを中心としてロードサイドの看板などに大々的に使われるようになった.ラスヴェガスでは1929年に出現し,1940年代からカジノの拡大に伴って大型で独特のものが次々と現れた.比較的古いカジノが密集するダウンタウンでは,軒下やファサード全体をネオンのストライプが覆うような,建築物と一体となったデザインが数多く出現した(図1).1960年代から栄えだしたストリップと呼ばれる大通り沿いのリゾートホテルには,発光する巨大なパイロン(広告塔)が道路ぎわに出現し,運転手の目を誘うようになった.




図1 ラスヴェガス・ダウンタウンエリアのネオンによる大規模な装飾



 ラスヴェガスのネオンには派手なだけではない不思議な温かさがある.商業的なものであるのに,人間的な魅力をそこに感じる.その理由の一つは,各々のネオンはカジノや劇場のためだけに丹念にデザインされたもので,二つとして同じものが存在しないことがあるだろう.また,目立たせることよりも人を楽しませようという意欲が込められているように感じるということもある.一方,日本のネオンはその大半が企業の広告であり,平面的かつ画一的なものがほとんどである.デザインにオリジナリティがあるものも少なく,愛着を抱くような要素もみられない.

 毎夜点灯するネオンを繰り返し見ていると,光に違和感や驚きを持たなくなる.鮮やかな光景が,当たり前の存在として認知されるようになる.好き嫌いに関わらず,街への記憶が光の風景と一体となってくるのだ.ラスヴェガスを思い起こすとき,そこにはネオンの光が必ず出現する.それは街にとって最大のアイデンティティであるといってもよい.





2. 取り壊されたネオンサイン

 カジノとエンターテイメントを中心とした観光産業で成立しているラスヴェガスは,新陳代謝が極めてはやい.ヴェガスの1年は他の都市の10年に相当するといわれるほど,街の風景はダイナミックに変わっていく.客足の鈍ったカジノやホテルなどの廃業が決まると,ネオンサインも当たり前のように撤収される.商業的であり,美術的な価値を判断できないネオンは,いくら市民に親しまれていても消え去る運命にある.新旧交代は街のエネルギーを表してもおり,それ自体は悲しむべきものではないかもしれない.しかし,慣れ親しんだ光をそのまま壊していってよいのだろうかという疑問が,次第に出始めるようになった.それは,風景を失うことに対する人間の本能的な危機感でもあろう.数百年の時を重ねた古都だけではなく,数十年と短い都市であっても歴史は存在するのであり,その証を残したいという思いは共通にあると思われる.

 役目を終えたネオンサインを壊さず確保しておきたいという思いは,非営利組織のNeon Museumの設立へと繋がることとなった.博物館としての施設を持つのではなく,捨てられることが決まったネオンサインを保存しようとする組織である.それらの多くは,倒産したカジノや,サインメーカー大手のYESCO社(Young Electric Sign Company)から提供されている.大小様々な物体は,12000uの屋根のない広大な敷地に保管されている(図2).ただし,倒壊しないように最小限の補強を施したまま放置されている状況で,ネオン管も大半は破損していて使い物にならない.その荒れ果てた姿は,すでに過去のものであるということを強調している.馴染み深く独特の形態を持つものばかりではなく,陳腐でがらくたのように見えるものも多い.それでも長く街に存在し,多くの人々の心と目を照らしてきたものだ.ここではラスヴェガスの歴史を正に体感することができる.最近まで観光客はもとより,市民にさえもこの施設のことはほとんど認知されていなかったが,数年前から次第に知られるようになってきた.現在,地元の小中学生が社会見学に訪れたり,雑誌のグラビアなどに使われたりしている.原則として一般公開はしていないが,事前に申し込むことで見学が可能である.




図2 屋外に保管されている歴史的ネオンサイン(Neon MuseumのBoneyard)



 Neon Museumでは特に価値の高いサインを修復し,光を与えて街中に再び戻そうとする活動も行っている.最初の公的な活動は,ストリップにあった旧ハシエンダホテルのネオンサインを修復して1996年にダウンタウンに復活させたことである.その後も比較的小型のネオンサインを街路上に戻しており,現在は11の光が息を吹き返している(図3).さらに今後は,常設の博物館を新設しようと構想中である.その屋外の広場では,これまで修復に手がつけられなかったパイロンなどの大型のネオンサインを展示することを計画している.




図3 修復し再点灯されたネオンサイン
左:The Hacienda Horse and Rider(1967) 中:The Flame Restaurant(1961) 右:Andy Anderson(1956)





3. ネオンの現在

 屋外に露出したネオンサインは,ガス抜けやガラス管の破損によって点灯しなくなることが少なからず起こる.オーダーメイド製品のため交換が効かないネオン管は,工場に持ち込まれ手作業で修復されることになる.そこではガラス細工に熟練した技術者が,バーナーで熱しながら素早く下絵通りに曲げていく(図4).私もやらせてもらったが,温度の調節と曲げる際の力の入れ加減やタイミングが見ている以上に難しい.こうした,即座に修復し維持管理できる体制が,古いネオンが現役でいることを支えている.




図4 ネオン管の修復風景
ゴムのホースを繋ぎ息を吹き込みながらガラス管を曲げる



 ラスヴェガスで生活していると,図書館や大学など公共施設のサインや天井のアクセントにネオンが数多く用いられていることに気づく(図5).日常的に親しんだ素材だからだろうか,それらは違和感なく溶け込んでいる.またラスヴェガス市では,ダウンタウンのエリアをネオン文化の集積地と位置づけ,既存のサインを守ろうとするだけでなく,新たに設置する広告にもできるだけネオンを使うように指導している.さらに,市内在住のアーティストの中にはネオンを題材にした作品の制作に取り組む者もいる.Cad Brownは人の感情表現にカジノのネオンを援用した一連の絵画を制作し,Pasha Rafatはネオンの持つ繊細さを生かすような立体的作品を制作している(図6).アプローチは異なるものの,街の光に影響を受けた活動であるといえる.




図5 公共施設においてネオンが用いられている例
左:大学演習室、右:図書館





図6 ラスヴェガス在住のアーティストによるネオンを題材にした作品
左:Cad Brownによる油絵 中・右:Pasha Rafatによるネオンアートと自宅スタジオでの制作風景



 ネオンサインは生産が難しく,高電圧を必要とし,取り扱いが厄介で高価でもあることから,新たに制作される数は少なくなってきている.カジノのサインは巨大なものから屋内の小型のものまで,LEDを用いた映像的なものへと移行している(図7).ラスヴェガスを彩る光として,ネオンは徐々に第一線から離れていくのだろう.しかし,その華美で繊細な美しさは決して代替できるものではなく,将来は貴重で高級な光として存続していくものと思われる.




図7 LEDを用いた映像的な装飾
上:ストリップ大通り沿いのパイロン 下:フリーモントストリートの420mのアーケード。1994年に白熱ランプから1250万個のLEDに交換され、より高画質の映像が展開されることとなった。



 移り変わりの速いラスヴェガスでは,私が帰国してからの1年の間にも豪華なWynn Las Vegasホテルや豊満さが魅力のHooters Casinoが開業し,その一方でBourbon Streetなど3つの老舗ホテルが営業を停止した.おそらくその何十倍もの施設が,リノベーションされたことだろう.現地で毎夜見ていた光景はすでに過去のものへとなりつつある.その光のいくつかはどこかで再点灯されることはあるのだろうか.




謝辞 
 この記事の一部は,ネヴァダ州立大学ラスヴェガス校のMichael D. Kroelinger教授(建築学),Schwartz David教授(カジノ史),YESCO社のJohn Williams副社長,Neon Museumの職員の皆様へ取材した内容に基づいています.


参考文献
(1) Learning from Las Vegas :Venturi, R., Brown, D. S., & Izenour, S. (1972). MIT Press. ラスベガス:R.ヴェンチューリ他著,石井和紘他訳,鹿島出版会(1972).
(2) Las Vegas Lights : Mark P. Block and Robert Block, Schiffer Publishing(2002).